均州
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均州(きんしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から民国初年にかけて、現在の湖北省丹江口市一帯に設置された。
概要
[編集]547年(太清元年)、南朝梁により設置された興州を前身とする。興州は武当・平陽・均陽の3県を管轄した。
579年(大象元年)、北周により豊州の武当・安富の2郡を越国とされた[1]。
585年(開皇5年)、隋により豊州は均州と改称された。605年(大業元年)に均州は廃止されて、淅州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、淅州は淅陽郡と改称された[2]。618年(義寧2年)、淅陽郡の武当・均陽の2県を分割して武当郡が置かれた[3]。
618年(武徳元年)、唐により武当郡は均州と改められた。627年(貞観元年)、均州は廃止され、淅州に編入された。634年(貞観8年)、淅州が廃止され、淅州の武当・鄖郷の2県をもって均州が置かれた。742年(天宝元年)、均州は武当郡と改称された。758年(乾元元年)、武当郡は均州の称にもどされた。均州は山南東道に属し、武当・鄖郷・豊利の3県を管轄した[3]。
1119年(宣和元年)、均州に武当軍が置かれた[4]。宋のとき、均州は京西南路に属し、武当・鄖郷の2県を管轄した[5]。
元のとき、均州は襄陽路に属し、武当・鄖郷の2県を管轄した[6]。
1912年、中華民国により均州は廃止され、均県と改められた。