永子内親王

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永子内親王
続柄 後深草天皇第六皇女

全名 永子(えいし/ながこ)
称号 章善門院
身位 内親王准三宮
出生 不明
死去 建武5年/延元3年(1338年3月
父親 後深草天皇
母親 三条房子
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永子内親王(えいしないしんのう/ながこないしんのう、? - 建武5年/延元3年(1338年3月)は、鎌倉南北朝時代皇族女院後深草天皇の第六皇女で、母は三条公親の娘・房子(二位局)。鎌倉幕府8代将軍久明親王の同母妹。女院号は章善門院(しょうぜんもんいん)。

正応4年(1291年12月15日内親王宣下を受ける[1][2]永仁5年(1297年12月28日准三宮宣下を受ける[1][2]延慶2年(1309年2月3日に院号宣下を受ける[1][2]正和5年(1316年8月27日に出家して、法名を真性寂とした[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『天皇皇族歴史伝説大事典』
  2. ^ a b c d 『日本女性人名辞典』

参考文献[編集]