識子内親王
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識子内親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 貞観16年(874年) |
薨去 | 延喜6年12月28日(907年1月14日) |
位階 | 無品 |
父母 | 父:清和天皇、母:藤原良近の娘 |
兄弟 | 陽成天皇、貞固親王、貞元親王、貞保親王、貞平親王、貞純親王、孟子内親王、包子内親王、敦子内親王、貞辰親王、識子内親王、貞数親王、貞真親王、貞頼親王、源長猷、源長淵、源長監、源長頼、源載子 |
斎宮 | 貞観19年2月17日(877年3月11日)- 元慶4年12月(881年1月) |
識子内親王(しきしないしんのう)は、清和天皇の皇女。母は右中弁藤原良近の娘。名は「さとこ」とも読む[1]。
来歴
[編集]貞観18年(876年)3月13日内親王となる。貞観19年(877年)2月17日、伊勢斎宮に卜定された。元慶2年(878年)8月28日野宮に入り、元慶3年(879年)9月9日伊勢に群行したが、翌元慶4年(880年)12月4日父上皇の死去により退下した。延喜6年(906年)12月28日薨去、33歳。
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 大日本史料1編3冊、本朝皇胤紹運録