田中利明
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田中 利明 |
- 全日本選手権 シングルス 1954-1956
- 全日本選手権 男子ダブルス 1956
- 全日本選手権 混合ダブルス 1955
獲得メダル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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田中 利明(たなか としあき、1935年2月24日 - 1998年2月6日)は日本の卓球選手。
経歴
[編集]北海道出身。日本大学卒業。 世界卓球選手権では、1955年から3年連続決勝に進出し、1955年および1957年に世界チャンピオンとなった[1]。また荻村伊智朗、角田啓輔らとともに、1954年から、世界卓球選手権男子団体3連覇に貢献した[2]。男子シングルスでは、1955年、ドリナーをわずか15分で破り初優勝[3]、1956年は決勝で荻村に敗れたが、1957年は決勝で荻村を破り2度目の優勝を果たした。1956年大会の男子団体準決勝ルーマニア戦では日本が3-4と追い込まれた(5点先取)8番手の試合で、ゲームオール14-20とマッチポイントを取られた状況から23-21と逆転勝利した[4]。
昭和29(1954)年度から全日本卓球選手権大会男子シングルス3連覇を達成している。
1992年のバルセロナオリンピックでは、日本代表の総監督を務めた[2]。
1997年に、荻村伊智朗、松崎キミ代、江口冨士枝らと共に世界卓球殿堂入りを果たした[5]。
脚注
[編集]- ^ 壁谷卓 (2004年10月18日). “世界卓球3連覇の荘則棟氏が東京で講演 伝説の王者、ピンポン外交を語る”. All About. 2013年7月6日閲覧。
- ^ a b “田中利明”. コトバンク. 2013年7月6日閲覧。
- ^ 伊藤条太 (2009年4月28日). “田中利明とドリナー”. 卓球王国. 2013年7月6日閲覧。
- ^ “日本卓球の黄金期 〜荻村・田中時代〜”. 川越高校卓球部OB会. 2013年7月6日閲覧。
- ^ “ITTF Hall of Fame 1997 Inductees” (PDF). 世界卓球殿堂. 2013年7月6日閲覧。
外部リンク
[編集]- TANAKA Toshiaki - ITTFプロフィール
- 日本大学保健体育審議会卓球部 - ウェイバックマシン(2012年6月26日アーカイブ分)