HOUND DOG

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HOUND DOG
出身地 日本の旗 日本宮城県仙台市
ジャンル ロック
活動期間 1976年 -
レーベル
事務所
共同作業者
公式サイト https://www.iehok.com/
メンバー 大友康平ボーカル
旧メンバー

HOUND DOG(ハウンド・ドッグ)は、1976年昭和51年)結成された大友康平を中心とした日本ロックバンド。代表曲に「浮気な、パレット・キャット」(1982年)、「ff (フォルティシモ)」(1985年)、「BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜」(1992年)など。1980年代後半に絶大なライブ動員力を誇った。バンド自体は2005年に事実上解散したが、その後大友がバンド名を使用して独りでライブ活動を続けている。

来歴[編集]

1976年(昭和51年)、東北学院大学在学時に、初代ギターの高橋良秀が大友康平に「一緒にやろう」と声を掛けた事がきっかけで結成。バンド名は、大友が敬愛するエルヴィス・プレスリーヒット曲から採用した。1980年、シングル『嵐の金曜日』でデビュー(メンバーは、大友・高橋・八島順一蓑輪単志・海藤節生・藤村一清)。以後、1984年のメンバーチェンジなど紆余曲折を経ながらも、日本のロックシーンで息の長い活動を続けてきた。その活動はライブに主眼を置くとされる。

ヒット曲が全くない中で1万人を集めた日本武道館初公演、足掛け3年間のライブツアーや、チケットを買ったにもかかわらず学校の指導で行けなくなったある地方の学生のために、卒業証書がチケット(無料)で、安全のためライブ終了時間を早め、危険性の無い定められた場所で「音楽は素晴らしいものなんだよ」と伝えるために、もう一度その地でライブを行うなど、過去に無い実績を残している。1989年には、日本武道館史上最多の15日連続ライブを決行。この記録は、2021年現在も破られていない。

1981年からはロックンロールオリンピック仙台市近郊で開催し、日本の野外ロック・フェスティバルの先駆けの1つとなり、また広島の『ピース・コンサート』、『夢の島ライブ』など募金やチャリティー・ライブの活動を通しての社会参加活動も行なっている。

大友が最も影響を受けているのがロッド・スチュワートであり、それを彷彿させるマイクスタンド捌きを行なっている。

サザンオールスターズ桑田佳祐はHOUND DOGの才能を認めており、1980年に『80's JAM』で共演した際のHOUND DOGの印象として「大友が客をノセるのが上手くてね」「ステージ裏から観ててアイツらには完全に食われそうでヤバいなと思ったんだけど、なるべく顔に出さないようにしてた」と語っている[1]

事務所移籍とメンバーチェンジ[編集]

初期のHOUND DOGは、仙台市にある音楽事務所「フライングハウス」に所属する傍ら、東京の事務所「エイプリル」及び「ウオーター」にも所属して活動を始める。

1983年(昭和58年)に「マザーエンタープライズ」に移籍し、初の日本武道館ライブを成功させた。なお、マザーエンタープライズには大友のみが取締役として加入し、他のメンバーは「バックミュージシャン」の扱いで、いつでも契約解除出来る状態であった。アルバムレコーディング中に海藤が脱退、ツイスト鮫島秀樹がサポートメンバーとして就いた。後に高橋・藤村も脱退する。大友は藤村に対しクビにはするが、楽曲は引き続き提供するよう指示したが、藤村はこれを拒否。その後、サポートメンバーを経て正式メンバーとなった鮫島と、蓑輪・鮫島の推薦による西山毅、八島の推薦による橋本がサポートメンバーとして加入する(後に正式メンバーとなる)。橋本はオーディションが行われたが、西山は大友含め事務所関係者が西山の演奏を一度も聴かないまま加入決定した。なお、鮫島は大阪時代からの橋本の素行不良を熟知しており、橋本加入に猛反対した。

伝説のライブと「誓いの日」[編集]

1985年8月10日、「TYPHOON PARTY TOUR 1985」の一つとして西武球場でライブが開催された。メンバーチェンジを乗り越え、再出発を祈願するライブであったが、台風の接近により大雨が降る中での開催になってしまった。客入りは1万数千ほど、終始楽器やPAは不具合を起こしたが、それでも彼らは果敢に演奏を続けた。

トラブルに見舞われながらもなんとか無事にライブが終わろうとしていた終盤、「ラスト・ヒーロー」を演奏中に演出用の特効花火が突如暴発し、その火花が瞼を掠めた大友がステージ上で倒れた。スタッフにより大友が舞台袖に抱えて運ばれると客席は騒然となり、ステージ上のメンバーも動揺した。しかし演奏は止まらず、鮫島が客席に背を向け、メンバーと顔を合わせて最後まで演奏、パニックに陥るのを防いだ。大友は舞台裏で応急手当を受け、すぐにステージに復帰。アンコールの際、感極まった大友が「来年もここでやるぞ!」と発言したことから、1986年8月10日「誓いの日」として同じく、西武球場でライブを行なった。快晴に恵まれ、前年と違い満員の観客が球場を埋め尽くした。

イベント「夢の島」開催[編集]

1990年(平成2年)から1999年(平成11年)まで行った夏の野外ライブ。第1回夢の島は、1990年(平成2年)8月25日に、NO OBJECTION TOURの中の一公演として東京夢の島公園にて行われた。タイトルは「でっかい太陽 8/25夢の島 勝手に決めた!ILY(国際識字年)チャリティイベント HOUND DOG夏の日、いよっ!日本一!! Jump Jump Jump!めざせ西暦2001年」。

第2回目以降の概要は以下の通り。

NHK紅白歌合戦直前辞退[編集]

1991年(平成3年)、『第42回NHK紅白歌合戦』の出場歌手に選ばれたが、この年のHOUND DOGは特にヒット曲がない状況であった。NHKは『ff (フォルティシモ)』を選曲したが、メンバーは「古い曲だから歌いたくない」とし、翌年リリースの新曲『BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜』の演奏を希望。しかしNHKはその申し入れを拒否、結局出場を辞退することとなった(代わりにバブルガム・ブラザーズが出場。大友とバブルガムは親友同士であり、バブルガムは紅白のステージ上で、歌唱後にHOUND DOGにメッセージを送った)。

解散騒動と訴訟[編集]

デビュー25周年となる2005年、大友と所属事務所マザーエンタープライズとの間で意見対立が発生、その結果大友は個人事務所(イエホック(iehok))を設立、4月に独立した。これを受けてマザー側は、7月の日本武道館公演をもってHOUND DOGに関する一切の業務を終了する事を発表した。また6月に発売されたアルバム『OMEGA』についても、マザーは「事実上、現メンバーによる最後のオリジナル・アルバムになる可能性がある」とし、ジャケットや曲のタイトルが解散を示唆する内容となっていた。しかし大友は事務所に反発し、今後もステージに立つことを武道館公演時に明言したが、解散やメンバー脱退は否定しなかった。

8月、大友はイエホック公式サイトにて、「バンド内に将来に対する考え方の違いが生まれた」として蓑輪・鮫島を除いた4名(大友・八島・橋本・西山)で活動を続けることを表明した。マスコミには蓑輪・鮫島が「脱退」したと報じられたが、当人たちは「脱退はしていない」とコメント。鮫島はその後も折りにつけ脱退否定発言を繰り返したが、大晦日のカウントダウン・ライブや2006年(平成18年)2月からのツアーは、両者を除いた4名にサポートメンバーを加えるかたちで開催された。大友は蓑輪・鮫島の解雇の理由を後述の裁判で、蓑輪については「福田信会長の秋の解散ツアー案に同意したため」、鮫島については「前事務所と密接な関係にあって情報が漏れ、信用できなかった」と述べている[2]。また、大友は11月8日付日刊スポーツ紙上で「HOUND DOGは僕のものですから。大学時代にオレがつくった。ぶっちゃけ言っちゃうと、オレだけだっていい。オレが歌えばHOUND DOGですから」といった発言をした。

2006年のメンバー「解雇」[編集]

その後、大友が活発にバラエティ番組に出演する一方、大友のラジオ番組から八島が降板したり、夏のライブ情報が橋本の個人サイトに掲載されなかったり、橋本がサイトのBBSで「信じていた人から裏切られた」と発言するなど、不可解な動きがあった。そして2006年(平成18年)6月3日、「HANBUN DOG(6-3)」と題した、橋本・八島・西山によるパーティーの開催が橋本のサイトにて発表された。

6月18日、大友は「HOUND DOGを守るため」自分ひとりで活動を続けるとイエホック公式サイトにて表明。イエホックの代表者(楠山寸賀子)は「HOUND DOGを操ろうという動き」という表現で前事務所の干渉を示唆し、橋本らのパーティー開催をそれに飲み込まれたものであるとみなして、バンドが大友ひとりになる理由とした。

これに対して橋本のサイトには、橋本・八島・西山の反論コメントが掲載。橋本は「私たち三人は脱退したのではありません」とした。その後、橋本のサイトやパーティーで3名が語ったところによれば、イエホックは当初から、3名を大友のバックミュージシャン扱いしていた。新曲の権利をすべて無償でイエホックに譲り渡すことを要求してきた。橋本が株売却のために旧事務所とコンタクトをとったことを口実に解雇し、新メンバーをオーディションで加えようとした。反発した3名は大友との話し合いを求めたが、大友は携帯の番号を変えて連絡がとれない状況であった。3名が事務所に不満を募らせていたところ、代理人弁護士から携帯メールで一方的に解雇を告げられた。「HANBUN DOG(6-3)」は元の6人でもう一度やり直したいという意味を込めたものであり、前事務所の干渉や、一部で噂された宗教団体の関与などは全くない、というものであった。

7月22日、大友以外すべてサポートメンバーで、HOUND DOG名義のライブが大阪野音で開催された。八島・橋本・西山が自腹でチケットを購入して現れ、会場は騒然となる。また、元の6人での活動を求める署名活動がファンにより会場外で行われた(この署名は、大友のもとに届けられたといわれる)。また、一部有志は同年9月1日日刊スポーツ意見広告を掲載し、同じく6人での活動再開を求めた。しかし、大友は例年通り昔の曲(そのほとんどは蓑輪と八島が作曲したものである)を歌い、MCでは一連の騒動について明確な説明をしなかった。9月2日には、同じサポートメンバーを従えて「HOUND DOGとして50回目」と称した日本武道館公演が行われた。ここでも大友は明確な説明をしなかったが、「後悔はない。1歩ずつ前を向かって歩いていく」と話し、旧メンバーとやり直す気がないことを暗示した。ようやく10月31日、大友はインターネットマガジン「Manyo」連載のエッセーにおいて、一連の経緯に関するファンへのメッセージを発表。自らの決意が変わらないことを強調し、「いずれ時間と良識と世論が本当の答えを出して理解してくれるはずだ」と結んだ。

一方、八島・橋本・西山の3人は「新生ハウンドドッグ」として、八島が書き下ろした「We are the Hound Dog」のレコーディングを9月14日に行った。ボーカルは、緊急募集された199名のファンである(当初、199名の中には冗談半分で応募した大槻ケンヂが含まれていたが、結局辞退している。)。八島いわく「大友康平に歌ってほしいと思って作ったが、今のところ実現は困難なのでこの曲は、みんなに歌ってほしい。7人目のメンバーと一緒に歌いたい」「200人目は大友に」とのことであった。その後3人は「We are the Hound Dog」発売を記念したライブも行っている。

訴訟[編集]

一連の騒動の流れで明らかになっている訴訟は以下の通り。

蓑輪・鮫島が大友・八島・橋本・西山に対して起こしている民事訴訟。HOUND DOGは6人の演奏活動によって成り立っていると主張し、「HOUND DOG」の名称の使用権がメンバー6人にあること、2人をバンドに復帰させること、大友独立の巻き添えで前事務所との契約が白紙になったことに対する金銭補償を求めた。ロックバンドの活動方針はリーダーの一存で決められるのかどうかが問題の焦点となった。2006年9月1日、八島・橋本・西山については和解が成立した。

マザーエンタープライズ(以下、マザー)がイエホック及び大友・八島・橋本・西山に対して起こしている民事訴訟。大友がマザーの役員だったにもかかわらず大手企業新年会でのミニライブを事務所に隠れて引き受けたこと、そのギャラを事務所を通さず着服したこと、大友の独立によって全国ツアーが中止になったこと、大友が南こうせつ主宰の北海道・岩見沢フォークジャンボリー(2006年7月)への出演をキャンセルしたことなどに対して損害賠償を求めている。また、マザーがバンドを解散に追い込もうとしたかの如く発言したことに対しても、事実無根であるとして損害賠償と謝罪広告の掲載を求めている。刑事告訴ではなく民事告訴となっていることについて、マザー側の「温情」を指摘する見解がある。なお、11月13日の東京地裁の弁論において、大友側は証拠を提出して反論。事前にマザー側からソロ活動の許可を得ていたこと、独立時点で全国ツアーの詳細は決まっていなかったことを主張した。さらに、大手企業新年会でのミニライブを「裏営業」などと報じられたことによる名誉棄損で、損害賠償を求める反訴を行った。本件については、マザーと八島・橋本・西山の間では和解が成立している。

大友は、2007年12月5日証人尋問に出廷。前述のメンバー切り捨ての経緯や、福田信会長から「HOUND DOGは事務所のお荷物だから解散しろ。独立は認めない。解散ツアーをすれば2000万円ずつ退職金が出る」と言われ、大友がそれに反対した所、「メンバーを連れていけ」と言われ収拾がつかなくなった事や当初は音楽活動をマザー、俳優業などをイエホックでマネジメントする予定だったことを主張し、八島・橋本が傍聴席にいるという状況のもと、質問に対し「意味がわかりません」という発言を繰り返した[3][2]。裁判は、2008年12月22日に東京地裁において判決[4]が下された。大友の「裏営業」の事実と大友が出演を予定しながらキャンセルした南こうせつ主宰の北海道・岩見沢フォークジャンボリー(2006年7月)のマザーに対する損害については、それが認められるとともに大友側からの名誉毀損の反訴は退けられた。また、大友の独立による全国ツアー中止についての損害賠償については、訴えが棄却され、マザーがメンバーを巻き込み、解散計画を進めていたことも認められた。この一連の判決を不満としてマザー側が東京高裁に控訴したが、2009年(平成21年)5月に控訴を棄却[5]され、訴訟費用の9割負担を命じられ、3年に渡る法廷闘争は結果的に終結した。

この訴訟と関連し、大友が自身の名義でHOUND DOGの楽曲を再録音し、2008年5月発売予定だったアルバムが、八島の「今は歌って欲しくない」という反対の意向で発売延期となった[6]

延期となったアルバムの発売[編集]

法廷闘争の終結と前後して2009年5月20日に、大友名義でHOUND DOGの楽曲14曲を再録音した「HOUND DOG ULTIMATE BEST」が発売。7月12日にはShibuya O-EASTで、購入者を対象として限定ライブを行った[5]

30周年ライブ[編集]

2010年3月21日に渋谷C.C.Lemonホールで30周年記念ライブが行われ、ファンによるベスト投票の30曲をもとに31曲を歌唱。大友は「ずっとHOUND DOGの歌を歌っていきたい。誰が何と言おうと」と語った[7]

エピソード[編集]

幻となった「男はつらいよ」[編集]

東京ドームなど大きな会場で公演を成功させる一方、地方でのホール公演も継続していたため、常に各地方都市の駅や公共施設に彼らの公演を伝えるポスターが多く掲示されていた。取材旅行で地方を旅することの多い映画監督の山田洋次が、どこへ旅行しても目にする彼らのポスターに興味を持ち、「男はつらいよ」で渡世人の寅さんとドサ回りするHOUND DOGを共演させる企画も暖めていたが、渥美清の体調不良・急逝などもあり、実現することは無かった。「メンバーは大変残念がっていた」と、鮫島が音楽誌の「ルーディーズクラブ」の連載コラムに寄稿している[要ページ番号]

「卒業証書が入場券」[編集]

1990年7月29日熊本県八代市で市制50周年記念事業の一環として行われることになったHOUND DOGの野外コンサートの際、「チケット代が高い」「終演時間が遅い」「会場周辺に民家等が無く、夜間は危険」「ロックを聴くと不良になる」などといった当時の風潮があり、教育委員会や教職員などにより、市内10中学校(当時)のうち9校で「地元中学生のコンサート参加禁止」が指導された。一方で「コンサートに参加出来ない」と立ち上がった地元中学生が参加実現への署名活動を行うも、教職員等からの反発があって禁止の撤回が実現することはなく、中には署名活動をした生徒に対して「そんなことをしてたら内申書に書くぞ!」と半ば脅しに近い言葉をかけた教職員もいたといい、さらには夏休み期間中の登校日に「コンサートに行った者は申し出ること」という指導までしていたという[8][9][10][11]
当時の大友康平がこの事実を知った事で心動かされ、

  • チケット代が高い → 卒業証書を持参した生徒に限り、無料で入場可能
  • 終演時間が遅い → 終演時間は19:00までとする
  • 会場周辺に民家等が無く、夜間は危険 → 会場を同じ八代市内の屋内会場(八代市総合体育館)とする

の3条件を掲げて、翌年3月29日に、当時参加が叶わなかった中学生に向けてのコンサートを実現させた。これらのコンサートにおけるエピソードは後に「卒業証書が入場券」などとも呼ばれている[9][12][10][11][13]
その当時の中学生の一人はその後、同じ熊本県で中学校の教職員となり、コンサート開催当時を含めたこれらのエピソードは一般社団法人倫理研究所の会報誌「職場の教養」にも掲載されている[10][13]

メンバー[編集]

1976 - 1978年[編集]

1978 - 1980年[編集]

  • 大友康平(ボーカルに専念)
  • 八島順一(1956年2月19日 -、ギター):宮城県出身。
  • 蓑輪単志1959年12月17日 -、キーボード):宮城県出身。
  • 海藤節生(1958年3月3日 -、ベース):玉手に代わって加入。
  • 高橋良秀(ギター)
  • 佐藤証(ドラムス):プロになるつもりはなくプロデビュー前に脱退。
  • 畑山広志(ギター)

1980 - 1984年[編集]

  • 大友康平(ボーカル)
  • 八島順一(ギター)
  • 蓑輪単志(キーボード)
  • 海藤節生(ベース):脱退後は仙台を拠点にソロ活動および市民活動家として活動している。
  • 高橋良秀(ギター)
  • 藤村一清(ドラムス):在籍時は楽曲提供も行い、『おちょくられた夜』『今夜ハートで』はシングルカットされた。脱退後は仙台を拠点に、kacooを平間邦義とともに結成し、主にライヴ活動などをおこなっていた。2022年6月死去[15]

1984 - 2005年[編集]

2005 - 2006年[編集]

  • 大友康平(ボーカル)
  • 八島順一(ギター)
  • 橋本章司(ドラムス)
  • 西山毅(ギター)

2006年 7月 -[編集]

  • 大友康平(ボーカル)

変遷[編集]

プロデビュー以降のみを以下に記す。
Vocal Guitar Guitar Key Bass Drums
1980年 - 1984年 大友康平 八島順一 高橋良秀 蓑輪単志 海藤節生 藤村一清
1984年 - 2005年 西山毅 鮫島秀樹 橋本章司
2005年 - 2006年
2006年7月 -

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 タイトル B面 順位 規格 規格品番
CBS・ソニー
1st 1980年3月21日 嵐の金曜日 Welcome to The Rock'n Roll Show EP 06SH-726
2nd 1980年10月1日 おまえはB-88[注 1] Rock'n Roller 07SH-841
3rd 1981年3月21日 おちょくられた夜 WE ARE HOUND DOG 07SH-957
4th 1981年9月21日 スクール・デイズ RANY LADY GOOD-BYE (Miss Mに捧ぐ) 07SH-1061
5th 1982年1月15日 浮気な、パレット・キャット PIN UP GIAL 19位 07SH-1108
6th 1982年9月1日 涙のBirthday OH! スキャンダル 07SH-1200
7th 1983年5月21日 STILL! FENを聞きながら 07SH-1302
8th 1984年3月5日 Please Please Please Midnight Boogie 07SH-1302
9th 1984年6月21日 グッバイ・ドリーマー 今夜ハートで 07SH-1524
10th 1985年7月1日 Knock Me Tonight/Bad Boy Blues Rock'n' Roll Lariat 71位 12inch 12AH-1894
11th 1985年8月25日 ff (フォルティシモ) ダンスでロマンス 11位 EP 07SH-1676
12th 1986年8月27日 ROCKS LONG WAY HOME 13位 07SH-1798
13th 1987年6月21日 DIAMOND EYES CHRISTY 46位 07SH-1841
MOTHER&CHILDREN
14th 1987年9月1日 SCRAP DREAM ROLLING/BLACKBOARD JUNGLE 4位 12inch MCR-501
Maxi MCD-501
15th 1988年4月1日 AMBITIOUS DON'T CRY (New Remixed in New York) 5位 EP MCR-1
8cmCD MCD-1
16th 1988年10月1日 ONLY LOVE/Destiny 3位 EP MCR-5
8cmCD MCD-5
17th 1988年12月1日 NO NAME HEROES BELIEVE EP MCR-7
8cmCD MCD-7
18th 1989年2月21日 15の好奇心 (New Remix Version) 無理を承知で… (Tokyo Dome Live Version) 11位 EP MCR-9
8cmCD MCD-9
19th 1989年6月1日 大地の子供たち/KISSで極楽(パラダイス) 6位 MCD-12
20th 1989年10月25日 Tell Me Why ROAD (Studio Live Version) 10SD-38
21st 1990年8月10日 でっかい太陽 〜Jump Jump Jump〜 ROUTE34 10位 AMDX-6016
22nd 1990年12月21日 GLORY 素直になれなくて 〜Remember You〜 17位 AMDX-6027
23rd 1991年4月25日 FLY ONLY LOVE (LIVE VERSION) 37位 AMDX-6037
24th 1992年2月9日 BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜 BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜 (オリジナル・カラオケ) 2位 AMDX-6048
25th 1993年2月27日 日はまた昇る〜THE SUN ALSO RISES〜 BEGINNING 11位 AMDX-6085
26th 1993年3月25日 JEALOUSY JEALOUSY (オリジナル・カラオケ) 17位 AMDX-6087
27th 1994年7月25日 POWER OF LOVE NO SURRENDER 18位 AMDX-6118
28th 1994年10月10日 ROCK ME 素顔のままでLOVIN'YOU 14位 AMDX-6123
29th 1994年10月25日 銀河のささやき 銀河のささやき (オリジナル・カラオケ) 48位 AMDX-6121
30th 1995年6月10日 おまえを決してはなさない ローリング・オン・ザ・ロード
BROTHER LOUIE
29位 AMDX-6134
31st 1995年9月10日 さよならの向こうに SHINING AMDX-6140
日本コロムビア
32nd 1996年10月1日 ACROSS THE RAINBOW〜虹の彼方へ〜 NO MY DARLIN' 47位 8cmCD CODA-1044
33rd 1997年2月1日 SEASON 傷心 99位 CODA-1148
32nd 1997年4月19日 Smile For Me Graduate 59位 CODA-1193
34th 1998年1月21日 これからの人 JOURNEY MAN 55位 CODA-1397
35th 1998年5月21日 BY MYSELF いくつもの夜を越えて 47位 CODA-1526
36th 1998年7月18日 JUNCTION 太陽に向かって 72位 CODA-1537
37th 1999年9月1日 DO IT[注 2] DO IT (カラオケ)
DO IT (アコースティック・インスト)
CODA-1753
日本コロムビア / MOTHER&CHILDREN
38th 2001年6月20日 Bird SHIMOKITA
DOWNTOWN ALLEY
34位 Maxi MCCA-1
Sony Music House
39th 2002年11月20日 R★O★C★K★S ff (フォルティシモ) 84位 Maxi MHCL-173
R and C
40th 2002年12月7日 POPCORN JUST A DAYBREAK 74位 Maxi YRCN-10001
41st 2003年9月25日 泣くなよ ROCK ON
MILES AWAY
44位 YRCN-10021
42nd 2004年4月21日 たったひとつの愛のうた 泣くなよ (Live direct recording ver.)
SONGS (Live direct recording ver.)
YRCN-10036
43rd 2005年3月30日 SONGS 44位 YRCN-10077
44th 2005年4月20日 アカペラ alive 67位 YRCN-10091

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
CBS・ソニー
1st 1980年5月1日 Welcome to The Rock'n Roll Show LP 25AH-969
2nd 1981年4月21日 STAND PLAY 27AH-1233
3rd 1981年11月21日 POWER UP! 28AH-1392
4th 1982年4月1日 Roll Over 28AH-1415
5th 1983年7月1日 BRASH BOY 28AH-1550
6th 1984年7月21日 DREAMER 28AH-1722
CD 35DH-98
7th 1985年8月25日 Spirits! LP 28AH-1905
CD 32DH-267
8th 1986年12月21日 LOVE LP 28AH-2135
CD 32DH-585
MOTHER&CHILDREN
9th 1987年12月10日 BE QUIET LP MCR-1001
CD MCD-1001
10th 1989年1月11日 GOLD LP MCR-1006
CD MCD-1006
11th 1990年1月1日 VOICE AMCX-4051/2
12th 1991年1月25日 BACK TO ROCK AMCX-4092
13th 1992年2月22日 BRIDGE AMCX-4131
14th 1993年4月24日 RIVER AMCX-4161
15th 1994年11月10日 ROCK ME AMCX-4205
日本コロムビア
16th 1996年10月19日 across the rainbow CD COCA-13736
17th 1998年7月29日 BABY UNIVERSE COCA-15161
18th 2000年6月1日 Happy Star COCP-30921
Happy Star Box COZP-57
R and C
19th 2002年12月7日 Big Dipper CD YRCN-11000
20th 2004年2月18日 11 Rooms For Sky YRCN-11020
21st 2005年6月29日 OMEGA YRCN-11051


カバー・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
MOTHER&CHILDREN
HOUND DOG&極楽オールスターズ名義
1st 1995年3月21日 PARADISE LUNCH CD AMCX-4215

ライブ・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
CBS・ソニー
1st 1982年7月1日 ROLL OVER TOUR TOKYO LP 23AH-1449
2nd 1983年12月21日 狼と踊れ 40AH-1681/2
日本コロムビア
3rd 1999年3月20日 Tender Night...and seated CD COZP-49/50
4th 2000年9月19日 LUCKY and HAPPY Live Best Hit COCP-31088/9

ベスト・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
CBS・ソニー
1985年12月21日 Best 4 You LP 12AH-1975
1st 1987年7月15日 Rocks To Roll LP 35AH-2195/6
CD 35DH-685
2nd 1988年7月21日 Nothing But Rock And Roll LP 28AH-5087
CD 32DH-5087
3rd 1988年12月1日 Heart of Ballad 32DH-5167
MOTHER&CHILDREN
4th 1992年6月27日 FAVORITE THINGS 〜HOUND DOG BEST 1987-1992〜 CD AMCX-4138
5th 1997年10月25日 Home Grown AMCX-4339/40
Sony Music Entertainment (Japan) Inc.
6th 1997年11月21日 GOLDEN J-POP/THE BEST ハウンド・ドッグ CD SRCL-4127/8
Sony Music House
7th 1998年8月21日 THE BEST 〜INNOCENT DAYS〜 CD SRCL-4339
日本コロムビア
8th 1999年9月22日 Lucky Star CD COCP-30574
ワーナーミュージック・ジャパン
9th 2009年6月24日 プレミアム・ベスト CD WPCL-10701

BOXセット[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
Sony Music House
1st 2001年4月25日 EARLY DAYS CD+DVD SRCL-5031/5
R and C
2nd 2005年12月7日 HOUND DOG 19802005 BLUE BOX CD YRCX-1/7

タイアップ[編集]

曲名 タイアップ 収録作品
浮気な、パレット・キャット カネボウ'82春のキャンペーン』CMソング[16] シングル「浮気な、パレット・キャット
ヤマハ『ポップギャル』CMソング
Please Please Please ソニー カセット・テープ HF-S CMソング シングル「Please Please Please
ff (フォルティシモ) 日清食品カップ・ヌードル キャンペーン イメージソング[17] シングル「ff (フォルティシモ)
AMBITIOUS 日清食品カップヌードル『トム・ソーヤ』シリーズ CFソング シングル「AMBITIOUS
日本テレビ開局35周年記念特別番組『チョモランマがそこにある!!』[18]テーマソング
ONLY LOVE SEOULからTOKYOへ/'91世界陸上東京大会NTVスピリッツ・ソング シングル「ONLY LOVE/Destiny
NO NAME HEROES TBS新春大型時代劇スペシャルドラマ『織田信長』主題歌[19] シングル「NO NAME HEROES
15の好奇心 プロシード 英和, 和英辞典 イメージソング シングル「15の好奇心
大地の子供たち NHK衛星放送 イメージソング シングル「大地の子供たち/KISSで極楽(パラダイス)
KISSで極楽(パラダイス) NTV系ドラマ『ハロー!グッバイ』オープニングテーマ[20]
Tell Me Why killy DAP SUITS CM Image Song[21] シングル「Tell Me Why
GLORY 全日本バレーボールチームキャンペーンソング シングル「GLORY
明治製菓『がんばれ!ニッポン!』CFソング
素直になれなくて 〜Remember You〜 '91年正月映画『GOLD RUSH』エンディングテーマ
FLY 日野自動車TV-CMソング[22] シングル「FLY
BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜 '92 アサヒスーパードライ CMソング シングル「BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜
日はまた昇る〜THE SUN ALSO RISES〜 '93 アサヒスーパードライ CMソング[23] シングル「日はまた昇る〜THE SUN ALSO RISES〜
BEGINNING 日本テレビ系『プロ野球中継』テーマソング
JEALOUSY TBS系TV『ムーブ』エンディングテーマ[24] シングル「JEALOUSY
おまえを決してはなさない トヨタ カローラ「レビン」CMソング[25] シングル「おまえを決してはなさない
さよならの向こうに 東京ビューティーセンター秋のキャンペーン CMソング[26] シングル「さよならの向こうに
SHINING TBS系『プロ野球中継』テーマ曲
中国放送制作『駅伝中継』[注 3]テーマソング
ACROSS THE RAINBOW〜虹の彼方へ〜 TBS系『世界ふしぎ発見!』エンディングテーマ[27] シングル「ACROSS THE RAINBOW〜虹の彼方へ〜
JAS日本エアシステム MD-90 キャンペーンソング
SEASON エクシング『Fighting Illusion 翔』CMテーマソング[28] シングル「SEASON
Smile For Me 久光製薬『エアーサロンパスEX』CMソング[29] シングル「Smile For Me
これからの人 TBS系『噂の!東京マガジン』エンディングテーマ[30] シングル「これからの人
BY MYSELF 久光製薬『エアーサロンパスEX』CMイメージ・ソング[31] シングル「BY MYSELF
JUNCTION キッコーマン『焼肉行動派 Indigo』CMイメージ・ソング[32] シングル「JUNCTION
太陽に向かって キッコーマン『焼肉貴族 TRIANGLE』
DO IT フジテレビプロ野球ニュース』テーマソング シングル「DO IT
Bird ARTA イメージ・ソング[33] シングル「Bird
R★O★C★K★S テレビ東京系アニメ『NARUTO -ナルト-』オープニングテーマ[34] シングル「R★O★C★K★S
MILES AWAY ミズノ ベースボールグッズ TVCM「松井モデル」篇 CMソング シングル「泣くなよ
SONGS 電気事業連合会 CMソング[35] シングル「SONGS
SAYONARA SONG 映画『いらっしゃいませ、患者さま。』エンディングテーマ アルバム『OMEGA
アカペラ NHKドラマ『愛と友情のブギウギ』主題歌[36] シングル「アカペラ

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ イギリスのグラムロック・バンド、ジョーディー(Geordie・AC/DCブライアン・ジョンソンが在籍した)の『All because of you』のカヴァー。訳詞は糸井重里
  2. ^ スポーツ振興のためのチャリティーCDとして発売された。佐々木主浩蝶野正洋中山雅史福嶋晃子松井秀喜マイク・ベルナルド松坂大輔本山哲山本美憂といった有名スポーツ選手がコーラスに参加している。
  3. ^ 1995年11月 - 1996年1月放送の広島県高校女子駅伝・中国中学校駅伝・中国山口駅伝=テレビ山口と共同制作・中国女子駅伝。いずれも中国新聞社主催。

出典[編集]

  1. ^ 桑田佳祐 『素敵な夢を叶えましょう』 P19 1999年 角川書店
  2. ^ a b 「尾崎豊さんの気持ち分かった」nikkansports.com
  3. ^ 「尾崎豊さんの気持ちが分かりました」大友康平が告白zakzak
  4. ^ まだまだ続くハウンドドッグ大友康平“独立泥沼裁判”zakzak
  5. ^ a b 大友“晴れて”ハウンドドッグでライブnikkansports.com
  6. ^ 大友康平新アルバムに元メンバーが待ったnikkansports.com
  7. ^ 「HOUND DOG」30周年ライブ…大友康平、31曲完全熱唱日テレNEWS24
  8. ^ ロック公演鑑賞禁止 熊本県の中学校で(学校を歩く), 朝日新聞社, (1990-08-29), p. 16, https://xsearch.asahi.com/kiji/detail/?1658376664962/ 
  9. ^ a b 「ロック禁止」打ち破った 中学生の署名活動実り無料再演 熊本, 朝日新聞社, (1991-02-16), p. 18, https://xsearch.asahi.com/kiji/detail/?1658376745989/ 
  10. ^ a b c 埼玉純真短期大学「今日の心がけ~職員のスピーチ~『卒業証書が入場券』」 2019.11.18
  11. ^ a b Homepage for HOUND DOG『トピックス バックナンバー 2020年4月2日(木)21:53:57 ハウンドドッグ関連記事』、記事中にて書籍「職場の教養」を参照している
  12. ^ 署名で実現のハウンド・ドッグ・コンサート 八代市の中学生たち, 朝日新聞社, (1991-04-01), p. 19, https://xsearch.asahi.com/kiji/detail/?1658376745989/ 
  13. ^ a b 一般社団法人倫理研究所「職場の教養」『一般社団法人倫理研究所会報誌』。 
  14. ^ 「絶世の美少年」と言われた元天才子役、アルコールに溺れた壮絶な人生…週7で会社員+土日バイトも経験”. スポーツニッポン (2023年9月26日). 2023年9月28日閲覧。
  15. ^ 「HOUND DOG、ツアー『Starting again at Route 66』が開幕 大友康平66歳のロック魂さく裂”. 中日スポーツ (2022年9月17日). 2024年2月9日閲覧。
  16. ^ 1970・80年代のCMソング、竹内まりや、EPO、ハウンド・ドッグ、尾崎亜美、布施明、渡辺真知子が歌った曲といえば?”. ザテレビジョン. KADOKAWA (2018年3月16日). 2021年8月22日閲覧。
  17. ^ 大友康平、大澤誉志幸らがカップヌードルCM曲熱唱!”. スポニチ Sponichi Annex 芸能. スポーツニッポン (2011年9月20日). 2021年8月22日閲覧。
  18. ^ チョモランマがそこにある~みんなが頂上に立った~/日本テレビ開局35年記念特別番組 スーパー・ドキュメント・スペシャル”. 放送ライブラリ. 2021年8月22日閲覧。
  19. ^ 織田信長”. テレビドラマデータベース. 2021年8月22日閲覧。
  20. ^ ハロー!グッバイ”. テレビドラマデータベース. 2021年8月22日閲覧。
  21. ^ Tell Me Why|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  22. ^ FLY(SINGLE VERSION)|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  23. ^ 日はまた昇る-THE SUN ALSO RISES-|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  24. ^ JEALOUSY|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  25. ^ おまえを決してはなさない|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  26. ^ さよならの向こうに|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  27. ^ ACROSS THE RAINBOW|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  28. ^ SEASON|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  29. ^ Smile For Me|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  30. ^ これからの人|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  31. ^ BY MYSELF|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  32. ^ JUNCTION|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  33. ^ Bird|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  34. ^ R★O★C★K★S|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  35. ^ SONGS|HOUND DOG”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2021年8月22日閲覧。
  36. ^ 愛と友情のブギウギ”. テレビドラマデータベース. 2021年8月22日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]