慶應義塾大学競走部

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慶應義塾體育會競走部は、慶應義塾大学體育會の陸上競技チームである。関東学生陸上競技連盟に所属している[1]。練習拠点は横浜市港北区および川崎市中原区

概要[編集]

1917年創部。日本選手権インターカレッジなどで優勝者・上位入賞者を数多く輩出した[2]

歴史[編集]

箱根駅伝[編集]

箱根駅伝第1回大会に参加した4校のうちの1校。出場回数のべ30回を数え、優勝も1回あるが、第70回大会を最後に出場がない。これは特に戦後に波及した駅伝有害論(選手が故障したり選手寿命が尽きることを懸念するもの)を早稲田大学と協調して唱えて1951年の第27回大会出場を辞退したことが大きいと言われている[3]。これにより選手が集まらなくなってしまい、以後10年近く参加できなかった(なお早稲田大学は大会への参加は継続している)。

ようやく1959年の第35回大会に予選会をクリアし復帰したものの、60-70年代は予選会はクリアするもシード権を獲得できず、1971年に出場した後は出場枠の多い記念大会であった第50回・第60回・第70回大会に出場できたのみであり、2000年代以降は予選会でも低迷が続いていた。

創部100周年となる2017年4月、駅伝強化を目的とする『慶應箱根駅伝プロジェクト』を開始[4]。長距離コーチとして日本体育大学OBの保科光作が就任した[5]。2019年8月、順天堂大学OBの小野裕幸が長距離コーチに就任。2022年度まで任に当たった。箱根駅伝プロジェクト開始以降は関東学生連合チームに毎年のように選手を輩出しており、箱根駅伝予選会の成績も徐々に持ち直している。

タスキは第1回大会では水色、最後に本大会に出場した第70回大会では青・赤・青の3色を採用している。

主な出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2019年度加盟校”. 関東学生陸上競技連盟. 2021年2月5日閲覧。
  2. ^ 競走部について”. 2021年2月5日閲覧。
  3. ^ 【記者の眼】慶大と箱根駅伝
  4. ^ 箱根駅伝プロジェクトとは”. 2021年2月5日閲覧。
  5. ^ 「対話と情熱」古豪・慶應義塾大学の復活にかける指導者の想いと願い|Sports for Social”. Sports for Social (2023年9月6日). 2024年3月6日閲覧。

外部リンク[編集]