陶山巌

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すやま いわお

陶山 巌
生誕 (1904-07-10) 1904年7月10日
死没 (1979-11-30) 1979年11月30日(75歳没)
東京都荒川区西日暮里
死因 腸間膜動脈閉塞症
住居 東京都中野区野方
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
活動期間 1932年 - 1979年
肩書き 集英社代表取締役会長
任期 集英社代表取締役社長
取締役会 集英社
配偶者 陶山まつゑ(妻)
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陶山 巌すやま いわお1904年7月10日 - 1979年11月30日)は出版事業家。株式会社集英社の初代社長および小学館の元役員。

来歴[編集]

1932年小学館に入社し、編集、宣伝部長、出版部長を経て、1947年、小学館の子会社であり休眠状態であった集英社が再出発した際に出向し初代社長に就任。元編集者だった陶山は部下の編集者を指導し集英社を日本屈指の出版社に育て上げる。小学館の創業社長・相賀武夫の片腕として知られ、一ツ橋グループの重鎮として武夫の後を継いだ相賀徹夫を若年期から晩年まで支え続けた。

1975年より会長職。1979年11月30日11時55分に腸間膜動脈閉塞症のため関川総合病院で死去(享年75歳)[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ 毎日新聞1979年12月1日夕刊9面
  2. ^ 読売新聞1979年12月1日夕刊15面