吉村順三
吉村順三 | |
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生誕 | 1908年(明治41年)9月7日 日本 東京市本所区 |
死没 | 1997年4月11日(88歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京美術学校 |
職業 | 建築家 |
受賞 | 日本建築学会賞作品賞(1956年) 日本芸術院賞(1975年) 毎日芸術賞(1989年) |
所属 | 吉村順三設計事務所 |
建築物 | 軽井沢の山荘(吉村山荘) 皇居新宮殿基本設計 奈良国立博物館 八ケ岳高原音楽堂 |
吉村 順三(よしむら じゅんぞう、1908年9月7日 - 1997年4月11日)は、日本の建築家。東京藝術大学名誉教授。
経歴
[編集]東京市本所区緑町の呉服商の家に生まれる。東京府立三中卒業。東京美術学校(現東京藝術大学)で建築を学び、実測と観察を通して日本の古建築に触れた。1931年に卒業[1]後、アントニン・レーモンドに師事。モダニズム建築を体得するとともに、レーモンドに日本建築を伝える。1941年、吉村順三設計事務所を開設。1945年、東京美術学校助教授就任。1962年、東京藝術大学教授に就任。1970年、東京藝術大学名誉教授。1990年、日本芸術院会員。
皇居新宮殿の建設に関わった。日本の伝統とモダニズムの融合を図った。
吉村の設計物件を特命で手掛けた建設会社としては、1933年から2014年まで営業しており、皇居新宮殿を担当した老舗・岩本組が知られている[2]。
作品
[編集]名称 | 年 | 所在地 | 備考1 | 備考2 | 備考3 |
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明和紡績工場 | 1952年 | 静岡県藤枝市 | |||
佐倉厚生園サナトリウム | 1953年 | 佐倉市 | 千葉県医療施設 | ||
東山魁夷邸 | 1953年 | 千葉県市川市 | 専用住宅 | ||
三里塚教会 | 1954年 | 千葉県成田市 | 宗教施設 | ||
共立蒲原病院 | 1954年 | 静岡県蒲原市 | 医療施設 | ||
国際文化会館 | 1955年 | 東京都港区 | 前川國男、坂倉準三と共同設計 | ||
ニューヨーク日航事務所 | 1956年 | ニューヨーク | 現存せず | オフィス | |
モテル・オン・ザ・マウンテン | 1956年 | ニューヨーク | 専用住宅 | ||
南台の家 | 1957年 | 東京都中野区 | 専用住宅 | ||
葉山海の家 | 1957年 | 神奈川県葉山町 | 専用住宅 | ||
箱根ホテル小涌園 | 1959年 | 神奈川県箱根町 | 宿泊施設 | ||
河庄 | 1959年 | 福岡市中央区 | |||
京都国際ホテル | 1961年 | 京都市中京区 | 現存せず | 宿泊施設 | |
東京都立竹早高等学校竹早山荘セミナーハウス | 1961年 | 山梨県北杜市 | |||
ソニー研究所 | 1962年 | 神奈川県横浜市 | 現存せず | ||
軽井沢の山荘(吉村山荘) | 1962年 | 長野県軽井沢町 | 専用住宅 | ||
NCRビル | 1962年 | 東京都港区 | オフィス | ||
東京クラブ | 1964年 | 東京都港区 | 現存せず | ||
池田山の家 | 1965年 | 東京都品川区 | 現存せず | 専用住宅 | |
浜田山の家 | 1965年 | 東京都杉並区 | 専用住宅 | ||
俵屋旅館 | 1965年 | 京都市左京区 | 宿泊施設 | ||
久我山の家 | 1965年 | 東京都杉並区 | 専用住宅 | ||
日本アメリカーナ大阪ビル | 1966年 | 大阪府 | |||
御蔵山の家 | 1966年 | 宇治市 | 京都府専用住宅 | ||
愛知県立芸術大学 | 1966年 | 愛知県長久手市 | 大学施設 | ||
文殊荘新館 | 1966年 | 京都府宮津市 | 宿泊施設 | ||
湘南茅ヶ崎の家 | 1968年 | 神奈川県茅ヶ崎市 | 専用住宅 | ||
皇居新宮殿基本設計 | 1968年 | 東京都千代田区 | 途中で宮内庁と意見が対立し辞任 | ||
青山タワービル・タワーホール | 1969年 | 東京都港区 | 事務所 音楽ホール | ||
行川アイランド | 1969年 | 千葉県勝浦市 | |||
ホテルフジタ京都 | 1970年 | 京都市中京区 | 現存せず | 宿泊施設 | |
山中湖の山荘 A (亀倉山荘) | 1970年 | 山梨県山中湖村 | 専用住宅 | ||
軽井沢の山荘 B (脇田山荘) | 1970年 | 長野県軽井沢町 | 専用住宅 | ||
井の頭の家 | 1970年 | 東京都三鷹市 | 専用住宅 | ||
ジャパンハウス | 1971年 | ニューヨーク | |||
田園調布の家・猪熊邸 | 1971年 | 東京都大田区 | 専用住宅 | ||
奈良国立博物館 新館 | 1972年 | 奈良県奈良市 | 博物館 | ||
高野パール | 1972年 | 奈良県奈良市 | |||
山脇ビル | 1974年 | 東京都千代田区 | オフィス兼学校 | ||
ポカンティコヒルの家 | 1974年 | アメリカ | 専用住宅 | ロックフェラー3世の家 | |
嬉野温泉 旅館 大正屋 | 1974年 | 佐賀県嬉野市 | 宿泊施設 | ||
仙石芙蓉荘 | 1974年 | 神奈川県箱根町 | |||
ホテルジャパン下田 | 1986年 | 静岡県下田市 | 宿泊施設 | 会員制リゾートクラブ | |
八ヶ岳高原音楽堂 | 1988年 | 長野県南牧村 | 音楽ホール | ||
茨城県近代美術館 | 1988年 | 茨城県水戸市 | 美術館 |
受賞・栄典
[編集]- 日本建築学会賞作品賞(1956年)
- ニューヨーク建築家協会デザイン優秀賞、パーソン賞(1972年)
- 日本芸術院賞(1975年)[3]
- 勲三等旭日章(1982年)
- 毎日芸術賞(1989年)
- 文化功労者(1994年)
- 勲二等瑞宝章(1997年)
吉村順三に師事した人物
[編集]著書
[編集]- 『現代日本建築家全集8 吉村順三』(三一書房、1972年)
- 『吉村順三作品集 1 1941-1978』(新建築社、1978年)
- 『吉村順三のディテール 住宅を矩計で考える』宮脇檀共著(彰国社、1979年)
- 『新建築別冊 日本現代建築家シリーズ 7 吉村順三』(新建築社、1983年)
- 『吉村順三建築図集』(同朋舎出版、1990年)
- 『吉村順三住宅作法』中村好文共著(世界文化社、1991年)
- 『吉村順三作品集 2 1978-1991』(新建築社、1991年)
- 『吉村順三を囲んで』聞き手:宮脇檀、六角鬼丈、藤森照信、中村好文(TOTO出版、1992年)
- 『小さな森の家 軽井沢山荘物語』(建築資料研究社、1996年)
- 『吉村順三設計図集』(新建築社、1998年)
- 『建築家 吉村順三のことば100 建築は詩』(永橋爲成監修、吉村順三建築展実行委員会編、彰国社、2005年)
- 『火と水と木の詩 私はなぜ建築家になったか』(新潮社、2008年)、講演録
脚注
[編集]- ^ 東京美術学校編『東京美術学校一覧 従昭和6年至昭和7年』東京美術学校、1931年、p.229
- ^ 藤森徹『あの会社はこうして潰れた』日本経済新聞出版社、2017年4月10日初版、21-26頁、 ISBN 9784532263379。
- ^ 『朝日新聞』1975年4月8日(東京本社発行)朝刊、18頁。
関連文献
[編集]- 栗田勇『現代日本建築家全集8 吉村順三』(三一書房、1972年)
- 稲葉なおと『巨匠の宿』新潮社、2004年)
- 『JA 59 吉村順三』(新建築社、2005年)
- 稲葉なおと 『匠たちの名旅館 平田雅哉・吉村順三・村野藤吾』(集英社インターナショナル、2013年)
- ギャラリーエークワッド 編『三里塚教会物語と吉村順三展:時代を越えて生き続ける小さな木造教会』〈木造モダニズム展第5回〉2013年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 吉村順三記念ギャラリー
- 吉村順三_GoogleMap