藤野天光

藤野 天光
(ふじの てんこう)
生誕 藤野隆秋[2]
1903年9月27日[2]
群馬県館林町裏宿(現館林市城町付近)[3]
死没 (1974-12-30) 1974年12月30日(71歳没)[3]
千葉県市川市[1]
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京美術学校[2]
著名な実績 彫刻
代表作 「ときのながれ」
「光は大空より」
「輝く太陽」
受賞 日本芸術院賞
1966年 光は大空より[2][3][4]
選出 日展審査員6回[1]
日展理事[1]
日本彫塑会常任理事[1]
活動期間 昭和時代[2]
影響を受けた
芸術家
北村西望[2]

藤野 天光(ふじの てんこう、1903年明治36年)9月27日[注釈 1] - 1974年昭和49年)12月30日)は、日本彫刻家[2]。本名は藤野隆秋[2][1]。号は当初舜正(しゅんせい)、後に天光に改めた[2][1]

群馬県館林町裏宿(現館林市城町付近)出身[3]千葉県市川市の地域文化発展に貢献[2]日展審査員を6回、さらに理事をつとめた[1]

戦後は文化運動者としても活動した[3][5]。また師北村西望作の長崎平和祈念像の制作筆頭助手をつとめた[3]。晩年は千葉県立美術館の建設促進に献身した[1][6]

略歴

[編集]

1903年(明治36年)9月27日、藤野隆秋として[2]群馬県館林市に生まれる[3]

1928年(昭和3年)、東京美術学校(現東京芸術大学)彫塑部卒業、在学中は北村西望に師事[2][5]

1929年(昭和4年)、第10回帝展に「ときのながれ」で初入選(以後連続入選、特選3回)[3][1][5][6]。「ときのながれ」は後にアメリカ合衆国のニューヨークで開催された万国博覧会(1939年(昭和14年))に出品され注目を集めた[3]。また、この年より戦後まで継続して作品の発表を続けた[1]

1938年(昭和13年)、第2回新文展で「銃後工場の護り」が特選受賞[3]

1941年(昭和16年)、小室翠雲らと群馬美術協会を発足させる[3]

1945年(昭和20年)、市川市美術会結成[5]

1947年(昭和22年)、日本彫刻家連盟設立に参加[1]

1948年(昭和23年)、千葉県美術会結成、常任理事となった[1]

1949年(昭和24年)、日展審査員として第5回日展に出品した「古橋選手」(水泳選手古橋廣之進モチーフ)が話題作となる[1]

1958年(昭和33年)、社団法人日展が創立され、日展評議員に就任した[1]

1960年(昭和35年)、県立美術館設置準備専門委員に就任、1964年(昭和39年)までつとめる[1]。また同年文部省(現文部科学省)文化財保護委員会文化財功労賞を受賞[1]

1961年(昭和36年)、この頃より千葉県内の仏像修理を始める[1]。1974年(昭和49年)までに県内仏閣設置の毘沙門天像両脇侍薬師坐像仁王像などを修理した[1]

1966年(昭和41年)、昭和40年第8回新日展出品作「光は大空より」が日本芸術院賞を受賞[2][3][4]

1966年(昭和41年)、千葉県美術会理事長に就任[1]。同年東京家政大学理事兼教授となる[1]

1968年(昭和43年)、号を舜正から天光に改める[1]。同年声帯摘出手術、群馬県美術会副会長就任[1]

1969年(昭和44年)、日展理事に就任[5]。同年、千葉県市川市教育功労者として市川市長感謝状を受ける[1]

1970年(昭和45年)、社団法人日本彫塑会創立に尽力し、同会常任理事となる[1]

1973年(昭和48年)、千葉県開催となった第28回若潮国民体育大会(国体)モニュメントとして8メートル男性像「輝く太陽」および記念メダルを制作した[1]

1974年(昭和49年)、千葉県立美術館協議会委員を委嘱され議長を務める[5]。同年12月30日、急性心不全により千葉県市川市のアトリエで死去、享年72[3][1]

1975年(昭和50年)、従五位勲三等瑞宝章受章[1][3][6]

2003年(平成15年)、遺族により346作品が郷里である館林市に寄贈された[6]

作品

[編集]
作品名制作年備考
  •  
「夢」 - 1932年 (昭和7年) - 館林市彫刻の小径設置(1991年)[3]
  •  
「光は大空より」 - 1965年(昭和40年) - 日本芸術院[4]
  •  
「鉄工」 - 1936年(昭和11年) - [1]
  •  
「輝く太陽」 - 1973年(昭和28年) - 第28回国民体育大会モニュメント[1]

脚注

[編集]
注釈
  1. ^ 東京文化財研究所によれば11月20日生まれ[1]
脚注
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「藤野天光」(2015年12月14日)、2016年11月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m デジタル版 日本人名大辞典+Plus (2015年9月). “藤野天光 ふじの-てんこう”. コトバンク. 2016年11月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o たてばやしで彫刻を見よう!”. 館林市. 2015年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月22日閲覧。
  4. ^ a b c 作品詳細”. 日本芸術院. 2016年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月22日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 藤野 天光 プロフィール”. 市川市 (2010年12月22日). 2016年11月22日閲覧。
  6. ^ a b c d 20世紀日本人名事典 (2004年). “藤野 天光 フジノ テンコウ”. コトバンク. 2016年11月22日閲覧。

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]