日本の地理

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日本の地理
地域 東アジア
面積 63[1]
 • 総面積 377,974.79[2] km2 (145,936.88 sq mi)
 • 陸地 96.4[1]%
 • 水地 3.6[1]%
海岸線 35,268[3] km (21,915 mi)
最高点 富士山(3,776m)[1]
最低点 八郎潟(-4m)[1]
最長河川 信濃川
最大湖沼 琵琶湖

日本の地理(にほんのちり)では、日本地理についての概略を記す。

領域

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範囲・面積

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日本は、東アジアに位置する島国であり、東および南は太平洋、西は日本海東シナ海、北はオホーツク海に面する[4]。北東から南西にかけて広がる島嶼群から構成され[5]、総体ではおよそ14,125島から成る[6]北海道本州四国九州の4島が主要な島であるが[4][5]、この4島に沖縄本島を加えた5島を「本土」と呼称することもある[7]。日本は明治以来、憲法における領土規定がなく、これは比較法学の観点では特殊なものであった[8][注 1]

面積は、2023年10月1日時点で377,974.79 km2 であり[2]中央情報局の『ザ・ワールド・ファクトブック』によれば世界63位である[1]。海岸線の総延長は35,268 m[3]領海は、原則として、基線からその外側12海里、国際航行に用いられる特定海域宗谷海峡津軽海峡対馬海峡西東水道大隅海峡)については、基線からその外側3海里の線と、これに接続して引かれる線までの海域[10]。また、基線から200海里までを排他的経済水域とする[1]。日本は島嶼から構成されるゆえ、約4,050,000km2 におよぶ、広大な排他的経済水域を有する。これは、世界で8番目に広い[11]。東西南北端は以下の通りである[12]

日本の東西南北端
地名 座標
最東端 南鳥島東京都 北緯24度16分59秒 東経153度59分11秒 / 北緯24.28306度 東経153.98639度 / 24.28306; 153.98639 (日本最東端)
最西端 与那国島沖縄県 北緯24度27分05秒 東経122度55分57秒 / 北緯24.45139度 東経122.93250度 / 24.45139; 122.93250 (日本最西端)
最南端 沖ノ鳥島(東京都) 北緯20度25分31秒 東経136度4分11秒 / 北緯20.42528度 東経136.06972度 / 20.42528; 136.06972 (日本最南端)
最北端 択捉島(北海道) 北緯45度33分28秒 東経148度45分14秒 / 北緯45.55778度 東経148.75389度 / 45.55778; 148.75389 (日本最北端)

行政区画

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普通地方公共団体の広域単位として都道府県、基礎単位として市町村を設ける[13]。都道府県以上の地域分類は様々であるが、1903年(明治36年)の第1期国定地理教科書以来、地理教育の場では、以下のような8地域区分を採用している[14]

島嶼 地方 都道府県
北海道 北海道地方 北海道
本州 東北地方 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県
関東地方 茨城県 栃木県 群馬県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県
中部地方 新潟県 富山県 石川県 福井県 山梨県 長野県 岐阜県 静岡県 愛知県
近畿地方 三重県 滋賀県 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県
中国地方 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県
四国 四国地方 徳島県 香川県 愛媛県 高知県
九州 九州・沖縄地方 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県

国土の変遷

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古代

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古代日本国家の北限、阿武隈川

弥生時代後期、西日本の各地に広域の地域勢力が勃興した[15]。2世紀末には畿内を中心として、西日本広域を支配する邪馬台国連合が創設された。邪馬台国連合は3世紀には東海・北陸のほか東日本も支配下に置き倭国が成立した[16]古墳時代前期前半には、現在の九州の宮崎県から東北宮城県の範囲まで国土が拡大されたことが、古墳造営の消長から明らかになっている[17][注 2]。荒井秀規は、3世紀末から4世紀に倭王権による東国への最初の接触があった後、4世紀末から5世紀にかけて倭王権による東国への征服戦争が行われたと想定している [18]。ただし倭国は東北など各支配領域を確保・維持しようとする考えを持っておらず[19]、6世紀には、経済基盤が脆弱な阿武隈川以北を倭国の支配地から切り離し[20]古墳時代後期には太平洋側では現在の宮城県南部、日本海側では現在の新潟県中部までが倭国の支配領域となった[21]。またこの間、400年(履中天皇元年)と404年(履中天皇5年)に倭は朝鮮半島で百済・加耶諸国と共に高句麗・百済連合軍と2度にわたって合戦を行っている[22]

奈良平安時代の日本国は、北は津軽海峡まで、南は喜界島までを国土と認識していたが[23]、一方で九州四国壱岐島対馬とそれらに取り囲まれた本州北陸中部地方西部までの範囲こそが日本国本来の領土とも認識していた[24]。そのため東北地方に対しての関心の希薄さは変わることがなく、東北地方北部を完全な形で支配する必要性は感じておらず[25]、実際には大崎平野までが8世紀における日本国の北限であった[26]。9世紀、陸奥・出羽からの徴税の京進が行われなくなると[27]関心は更に希薄になり、東北北部の経営は現地の官人任せになっていった[28]。また、南西諸島への関心も薄れていった[29]

古代の日本では、畿内と言われる行政区が設けられていた。大化の改新によって設置された当時から畿内は支配者にとっての特別な地域と認識されていたが[30]、律令制施行後は直轄地として国家を支える役割を担った[31]

中世

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15世紀前半、帰属を巡って日本と朝鮮の間で揺れた対馬島

中世後期の日本は、室町将軍との間に主従関係を築くことが出来ているか、室町将軍を頂点とした階層的な秩序の内に居るか、あるいは外に居るかで境界が引かれていた[32]。将軍に反逆し命令の届かない地域は支配権の外に置かれ、主従関係の有無によって境界が明瞭化された[33]

歴史学において室町幕府3代将軍・足利義満の治世は初の公武統一政権と評価されている[34]。しかし室町幕府は地方への関心を殆ど持たない政治権力であり[35]、自らが統治すべき範囲は畿内近国・瀬戸内・中部地域と考えており、幕府にとって東北・関東・九州は辺境でしかなかった[36]

15世紀前半、永享の乱によって将軍と鎌倉公方との主従関係が崩れると、幕府は日本国の東側の境界は駿河国までであると規定するようになり、東国を日本国から切り離した[37][38][39]。一方で当時は独立国だった琉球国は室町将軍との間に主従関係を結んでおり、将軍による<主‐従の関係>は国家間においても成立しうる概念でもあった[40]

1419年(応永26年)、李氏朝鮮倭寇の拠点壊滅を目的に対馬を攻撃したが作戦は失敗に終わった(応永の外寇)。その後、対馬を李氏朝鮮領とするため対馬-李氏朝鮮間で交渉が行われたが、交渉は不調に終わり対馬は引き続き日本国に所属することになった[41]

文明年間、大和興福寺・別当の尋尊は「大乗院寺社雑事記」で、中世後期の日本国の範囲は現在の近畿・東海・北陸・中国・四国の各地域であるとしている[42]。一方、戦国時代末期の天正9年(1581年)、織田信長は毛利氏との決戦の意思を明らかにした際、「今度、毛利家人数後巻として罷り出づるに付いては、信長公御出馬を出だされ、東国西国の人数膚を合せ、御一戦を遂げられ、悉く討ち果たし、本朝滞りなく御心一つに任せらるべきの旨、上意にて、各其の覚悟仕り候」と語り、東国(織田領)と西国(毛利領)が合戦し西国を討ち果たせば本朝(日本国)は滞りない状態になるだろう、と日本国の範囲を規定している[43]

近世

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豊臣秀吉の時代、日本国の支配は初めて本州の北端に到達した

織田政権を継承した豊臣政権は、四国平定九州平定を経て1588年(天正16年)日本国の統一を成し遂げた[44]。豊臣政権はその後東日本にも支配を拡大し[45]、1590年(天正18年)の奥羽仕置により初めて本州北端までを日本の国土に組み込んだ[46]。更に秀吉は「唐入り」と称して朝鮮半島に2度に亘って攻め込むが、中国大陸・朝鮮半島へ支配を拡げるには至らなかった(文禄・慶長の役)。

豊臣政権を継承した徳川幕府は、豊臣政権とは一転して国際的孤立主義の道を選び[47]、長崎・対馬・琉球(薩摩)・松前の4地域を窓口として対外交渉を行った[48]

1609年(慶長14年)、薩摩藩が琉球に侵攻し冊封関係を築き支配下に置いたが、琉球は中国とも朝貢関係を持ち続け、日本国と中国()との間で両属的な関係を維持した[49]。また、徳川政権期、蝦夷地(北海道)は松前藩が支配する渡島半島の南部の「和人地」以外は日本国の外と認識していた[50]

近現代

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辺境地域の領土確定を課題としていた明治新政府は1870年(明治3年)、北海道を日本国に組み込み、1879年(明治12年)にはとの帰属交渉が未決のまま、琉球を沖縄県として公式に日本国に編入した[51]

19世紀末以降、日本国は対外戦争により国土を拡げていき、20世紀前半には日本史史上最大規模に拡大した。1895年(明治28年)に日清戦争の結果、清から台湾を獲得(下関条約)し[52]、1905年(明治38年)には、日露戦争後の交渉で、ロシアより南樺太の割譲を受けた[53]ポーツマス条約)。更に1910年(明治43年)にはそれ以前より日本国の保護下にあった朝鮮を併合した[54]。その後、1922年(大正11年)には南洋諸島の委任統治も開始し[55]、太平洋側へも支配地域を拡大させた。

1932年(昭和7年)には満州国を建国し[56]。1937年(昭和12年)、盧溝橋事件をきっかけに開戦した日中戦争により中国大陸に占領地を拡大。1940年(昭和15年)9月、フランス領インドシナ北部へ進駐を開始し(仏印進駐[57]、翌年7月には南部仏印進駐、翌年7月には南部にも進駐を開始した[57]

1939年(昭和14年)2月、台湾総督府は海軍と共に海南島を占領した[58]。台湾総督府は台湾の重工業化を企図し、「台湾の植民地」として海南島を支配下に置くことを目論んだものだった[59]。だが占領後の海南島支配は海軍が主導することになり、台湾総督府は海軍に協力することでしか関与できなかった[60]

1941年(昭和16年)12月、日本は太平洋戦争の開戦と共に南方作戦を発動し、翌年5月には東南アジア一帯を国土に組み込んだ[61]。しかし太平洋戦争に敗れると、日本はそれ以前からの各植民地を失い満州国も消滅。1951年(昭和26年)に締結されたサンフランシスコ条約により南樺太、千島列島の領有権も放棄することになった[62]

1972年(昭和47年)には、太平洋戦争末期からアメリカの占領状態にあった沖縄が日本に返還された[63]沖縄返還)。

領土問題

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日本は、いくつかの領土問題を抱えている。北方領土(北海道・ロシアと係争)および竹島(島根県・大韓民国と係争)についてはそれぞれ係争国の実効支配下にあり、尖閣諸島(沖縄県・中華人民共和国と係争)については日本の実効支配下にある。日本は後者について、領有権の問題は発生していないという立場を取っている[64]。また、中華人民共和国および大韓民国は、沖ノ鳥島が国際法上の「島」であり、排他的経済水域を有するという、日本の主張に異議を唱えている[65]

自然地理

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地質

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主要地形

日本周辺においては、北アメリカプレート太平洋プレートユーラシアプレートフィリピン海プレートの4つのプレートが相接している[66]。また、日本の島嶼群は、千島弧本州弧伊豆・小笠原弧琉球弧の4つの島弧から形成される。本州弧については東北日本西南日本に分類される[67]。3000万年前まで、日本列島はアジアの大陸縁に位置していたが、2500万年前よりリフトがはじまり、日本海縁海として開裂した[67]。これにより後に東北日本・西南日本となる細長い大陸地殻が形成され、それぞれ反時計回り・時計回りに回転し、日本列島を形作った[68]。この回転は2000万年前にはじまり、1500万年前に終了した[67]。両者の間には、フォッサマグナが形成された[68]。1500万年前に伊豆・小笠原弧は本州弧と衝突した。フィリピン海プレートの潜り込みにより、丹沢山地および伊豆半島が本州の一部となった。また、本州弧と千島弧の衝突により、日高山脈が隆起した[67]

日本の地質構造は複雑であるが、古生代の大陸縁、古生代の島弧、古生代の付加体中生代から古第三紀の付加体、新生代の島弧と、その年代と起源によりおおまかに分類することができる[67]

地形

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起伏に富む地形であり[69]、「昭和57年度国土数値情報作成調査」によれば、国土全体の 61 %が山地、12 %が丘陵地である[70]。山間部に規模の小さな盆地が、沿海部に小規模な平野が広がっており、狭い平野や盆地に人口、耕地、都市機能、経済機能などが集中している。特に太平洋ベルト地帯には前述の都市機能や経済基盤などが集中している。そのため地政学的リスクが高く、1970年代から集中する機能を分散させる計画が持ち上がったが、未だに実行段階には達していない。ただし企業が本社を地方都市に移すなど、一部に分散の動きがある。

最低点と最高点

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  • 最低点 :八戸鉱山 標高 約-160 m(地上の最低点)(露天掘り鉱山であり地形が変わる可能性が高いため概数)
  • 最高点 :富士山剣ヶ峰) 標高 3,776 m

河川と湖

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  • 最も長い川 : 信濃川 - 367 km
  • 最も流域面積の広い川 : 利根川 - 16,829 km2
  • 最も広い湖 : 琵琶湖 - 670.33 km2
  • 最も周囲長の長い湖 : 霞ヶ浦 - 249.5 km
  • 最も深い湖 : 田沢湖 - 423.0 m
  • 最も水面標高の高い湖 : 中禅寺湖 - 標高1,269 m(人造湖を含まずかつ4 km2以上のものの中で)

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日本近海海底地形図と日本列島

日本周辺の海はひとつに繋がっているが、東側および南側が太平洋、西北側が日本海、西側が東シナ海、北東側がオホーツク海である。世界的には伊豆諸島および小笠原諸島南西諸島とに挟まれた海域はフィリピン海と呼称されるが、日本ではこの呼称は浸透していない。日本政府の公文書においても太平洋とされている。本州四国に挟まれた海域は瀬戸内海と呼ばれている。

日本列島の南側を黒潮日本海流)と呼ばれる暖かい海流が流れている。北からやってくる親潮千島海流)が三陸沖から常磐沖でぶつかって好漁場をつくっている(潮目)。一方、黒潮の分流が対馬海峡から日本海南部〜東部に流れ込んでいる。これが対馬海流である。対馬海流は津軽海峡および宗谷海峡から太平洋に抜けているのだが、日本海側の気候に大きな影響を与えている。このほかには、間宮海峡から日本海北部にリマン海流が流れ込んでいる。

天然資源・主な産出物

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「鉱物の博物館」と形容されるほど大抵の鉱物を産出するが、商業化するには規模が小さく採算性に劣るものがほとんどである。ただしコンクリート鉄鉱石精錬するのに必要なな石灰石は国内の需要以上を現在も産出し続けており、またヨウ素は世界でも有数の産出量を誇る。また日本では石油は採れないという認識が広く伝わっているが、日本海沿岸にはまとまった量の石油が埋蔵されて居り、盛んに採掘が行われた。しかし数十年前に採掘できる石油のほとんどを採り尽くしてしまい現在ではほとんどの地域で採算が取れない為、採掘が中止されているが、一部ではごく小規模な油田から地上に時々湧出する採掘できない原油は農産物などに被害をもたらし厄介者扱いされている。2003年度現在、液化石油ガスは、国内の需要の約33%。天然ガスは国内の需要の約3.5%を産出している。

古くは全国各地でが産出され貨幣や物品、建造物などに使用されていた。これはマルコ・ポーロが、日本を「黄金の国 ジパング」と書き記したゆえんとも言われているが、江戸時代から明治時代にかけて海外に大量に流出し、現在ではそのほとんどがなくなっている。また、なども金の場合と同様現在ではほとんど払底している。しかし鉄を主とする金属精錬・加工の技術は現在も高水準を保ち続けており、輸入される金属資源によってそれらの技術が生かされている[注 3]

海底資源に関しては金属鉱物はもとよりメタンハイドレート天然ガスなどが大量に埋蔵されていることが確認されている。また、レアメタルに含まれる希少金属の埋蔵も確認されている。

農産物では、(主食用自給率100%、その他95%。2007年)を別としてほとんどの品目の自給率が100%を割っており、輸入なくして日本の食糧需要を賄うことは困難な状況である。

気候

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日本におけるケッペンの気候区分(1981年から2016年の平年値に基づく)[注 4]

ケッペンの気候区分において日本はほぼ温暖湿潤気候湿潤大陸性気候に属するが[72][73]、一部に例外が見られる。道南の沿岸部、青森県岩手県の沿岸部、宮城県山形県福島県栃木県山梨県長野県の高原の一部には西岸海洋性気候が分布する[74]。また、群馬県の一部には温帯夏雨気候が存在する。富士山頂[75]や、大雪山山頂付近[76] にはツンドラ気候が分布する。

世界的に見ると四季がはっきりしており[77][78]中国朝鮮半島同様、気温の年較差日較差が大きい[79]。また、降水量が多いこと[80][81]梅雨秋霖の影響で降水量の年変化が大きいこと[82]が特徴として挙げられる。

日本の気侯は、太平洋側日本海側かで大きな違いが見られる。日本海側では、日本海の上を越えてくる[83]北西の季節風により、に雪や雨が多く、太平洋側では、太平洋から吹き込む[84] 南東の季節風により、に雨が多い[85]。また、瀬戸内海沿岸や中央高地では年中降水量が少ない[85]。また、南北に長い日本では、緯度による気候の差異も大きい[82]

自然

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日本付近はプレートテクトニクスの考え方によればユーラシアプレート北アメリカプレート太平洋プレートフィリピン海プレートの4つのプレートがせめぎ合う境界域にあたり、造山活動が活発な新期造山帯環太平洋造山帯)に含まれている。表土は最も古い岐阜県・長野県付近でも約2億4000万年前のもので、地質学的に見ても新しい地層である。

そのため火山の噴火が各地で度々発生するとともに、マグニチュード7から8クラスの地震を周期的に経験している。マグニチュード4クラスの地震に限って見てみるとほぼ毎日と言えるほど頻繁に発生していて、「地震大国」といえる。またプレートの動きに伴い、国土全体を縦横に活断層が走っており、都市を大地震が直撃することも多い。

しかし火山地帯であるがために温泉に恵まれていて、それらは大抵著名な行楽地となっていて国立公園国定公園に指定されている。国土全体が火山の噴火や大陸移動、堆積作用などの活動で形成されたため険しい山地が多く、河川も短いため、各地で土砂災害が起こりやすい。

日本で多い災害

  • 火山の噴火
  • 地震津波
  • 熱帯低気圧台風(6月〜10月)
  • 洪水や土砂災害などの水害(梅雨や秋雨、台風のほか、夏の集中豪雨の際に発生する)
  • 雪害(主に本州の日本海側)
  • 冷害(数年に一度、夏の北日本で発生する)

環境

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日本は、四季の変化によって多彩な生物や自然に恵まれている。特に生物相の豊富さは優れており、多くの分類群において日本の種数はヨーロッパ全土や北アメリカより多い。たとえばシダ植物は日本に630種あり、これはヨーロッパ(152)やアメリカ合衆国とカナダ(406)よりはるかに多く、熱帯域にあるタイ、インドシナ三国にほぼ匹敵する。

高度経済成長期以降の食卓の変化や海外の農産品の輸入問題などさまざまな要因により、20世紀後半に農林水産業が急激に変化した。林業衰退による人工林の放置、環境変化や乱獲・密漁などによる漁業資源の減少などが大きな問題となっている。

生態系においても、明治時代以降外来種による生態系の変化が起こり、トキニホンオオカミの絶滅に代表されるような生物多様性の低下が起こっている。また、ニホンザルイノシシが市街地に出没するなど人間の生活への影響も出ている。

環境問題
  • 自動車の排気ガスによる大気汚染
  • 湖や河川の富栄養化
  • 栽培漁業の過密化によって起こされている沿岸海域の富栄養化
  • 外国から入ってくる動物、魚、昆虫、植物の爆発的な増殖によって脅かされる在来種の存続(生態系の破壊)
  • 林業の衰退による人工林の荒廃⇒洪水の増加、生態系の崩壊
国際協定

人文地理

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土地利用

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土地利用の内訳(2012年)

  森林 (66.3%)
  農用地 (12.0%)
  宅地 (5.0%)
  道路 (3.6%)
  水面・河川・水路 (3.5%)
  原野等 (0.9%)
  その他 (8.6%)

国土に占める森林面積の割合は、先進国かつミニ国家ではない一定以上の面積を持つ国の中ではかなり高く、他に7割前後を占めるのはスウェーデンフィンランドなど数少ない。これは農地や宅地などに利用できない険しい山岳地帯が多いことも示しており、土地利用や都市計画などにおける制限は多い。森林率は確かな統計がある20世紀中盤以降、ほぼ横ばいで推移している。

総面積 約37万8千 km2 の利用内訳 総務省統計局 国土の利用状況 による。
(以上2012年の調査による)
  • 民有地:162,549km2
    • うち宅地 : 15,858km2 (9.76%)
    • うち田 : 27,276km2 (16.72%)
    • うち畑 : 24,962km2 (15.36%)
    • うち山林 : 78,777km2 (48.46%)
  • 自然公園面積 : 53,692.32km2
  • 都市公園面積 : 998.41km2
(以上2003年の調査による)

灌漑面積

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27,820 km21993年の調査による)

交通

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主要な島と特徴的な地形

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4つの主要な [注 5] と、地方区分ごとに見た各地の地理の概要や特徴的な地形を記述する。

北海道

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北海道

北海道日本列島を構成する主要な4つのの中で2番目に大きい島である[86][注 5]

この北海道本島その付随する島利尻島礼文島奥尻島天売島焼尻島渡島大島渡島小島等)から成る地方公共団体都道府県)も「北海道」であり、47都道府県で唯一の「」である。

この「北海道」1道から成る地方北海道地方と言う。その面積は日本の総面積の約2割 (22.9%) にあたる83,456.75 km2である[87]

本州

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本州

本州日本列島を構成する主要な4つのの中で最大の島である[86]

面積は227,942.83 km2で、北海道の面積の約3倍、そしてイギリスグレートブリテン島よりも広く、世界の島の中では面積は第7位である[注 5]

東北地方、関東地方、中部地方、近畿地方、中国地方に分類され、その分け方にはいくつかの異論があり統一的なものは存在しない。

東北地方

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東北地方

東北地方本州北部に位置する。この地域の本州は北アメリカプレートに載っており、西からはユーラシアプレート、東からは太平洋プレートに押されて隆起した奥羽山脈が中央を南北に走っている。さらに他の山地盆地も南北方向に広がっている。奥羽山脈やその他の山地から流れ出した河川の中流部に盆地が、下流部に平野が形成されている。それらは日本の農業生産の中心地域である。東北地方の火山は奥羽山脈の西側にある。東北地方の東方沖に日本海溝が南北に走っている。日本海溝の西側には規模の大きな地震の震源域がある。

関東地方

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関東地方

関東地方は東北地方の南、中部地方の東に位置する。北と西は山地に、東と南は海に囲まれた日本で一番広い関東平野を中心とした地域である。関東地方はフォッサマグナの中にある地域で、地質構造が複雑である。東京横浜川崎さいたま千葉といった大都市やそれらのベッドタウンが集中している南部は人口が多い。

中部地方

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中部地方

中部地方本州の中央部を占めている。この地方のほとんどはユーラシアプレートに載っているが、東部では北アメリカプレートと衝突している。その境界をフォッサマグナといい新潟県糸魚川市静岡県静岡市を結んだ線がその西縁とされ糸魚川静岡構造線と呼ばれる。さらにこの地域のユーラシアプレートはフィリピン海プレートの沈み込みも受けており、それらの複雑な動きから著しい造山活動が行われ、日本アルプスとして知られている飛騨(北アルプス)、木曽(中央アルプス)、赤石(南アルプス)の各山脈が形成された。それはまた東海地震東南海地震の原因と指摘されている。その沈み込みは南海トラフとして知られており、駿河湾内では駿河トラフとも呼ばれている。

近畿地方

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近畿地方

近畿地方は中部地方の西、中国地方の東。中央構造線紀伊半島をほぼ東西に横切っている。大台ヶ原山は大台ヶ原ともいい、日本では珍しい隆起準平原である。

中国地方

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中国地方

中国地方本州の西部と瀬戸内海の島々の一部、日本海の島々からなる。瀬戸内海を挟んで四国の北側に位置する。

四国

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四国

四国日本列島を構成する主要な4つのの中で4番目に大きな島である[86][注 5]

面積は18,297.74 km2で、九州の約半分の面積である。この島と瀬戸内海の一部の島々をまとめて四国地方あるいは単に四国と呼ぶ。四国には4つのが置かれている。

四国はユーラシアプレートに載っており、その南方沖でフィリピン海プレートの沈み込みを受けている。その境界に生じた付加体が陸化しているので地質の分布は東西の帯状に広がり、北部の方が南部よりも古い時代の地層である。四国の気候は中央を東西に走る四国山地により太平洋側と瀬戸内海側とで異なる。太平洋側は温暖で多雨であるが、瀬戸内海側は温暖ではあるが少雨である。

九州

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九州

九州日本列島を構成する主要な4つのの中で3番目に大きな島である[86][注 5]九州島とも呼ぶ。

面積は36,731.56 km2で、北海道の半分弱の面積で、本州四国の西に位置する。

この九州島とその付随する薩南諸島鹿児島県の領域)を含めて「九州」と呼ぶ[88]。「九州の最高峰」というとき一般には薩南諸島に含まれる屋久島の宮之浦岳が挙げられる。さらに南西諸島沖縄県の領域)を合わせて「九州地方」と言う。「九州地方」には沖縄県を含めるのが各百科事典では一般的である[89]。なお、次の一覧は便宜上、次項の「南西諸島」に属する項目を除いた。

南西諸島

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南西諸島

南西諸島九州の南に位置する島弧であり、ユーラシアプレートフィリピン海プレートが沈み込むことで生じている。太平洋(世界的な地理学ではフィリピン海)と東シナ海を画している。

なお、南西諸島の中で沖縄県に属する島は691である[6]。主要な島を列挙。

伊豆・小笠原諸島

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南方諸島

伊豆諸島小笠原諸島本州の南に位置する島弧であり、フィリピン海プレート太平洋プレートが沈み込むことで生じている。沈み込んでいるところを伊豆・小笠原海溝という。伊豆諸島の島々や西之島南本州海嶺の頂上部である。小笠原諸島の聟島諸島父島諸島母島諸島はその西側にある小笠原トラフによって南本州海嶺と隔てられている。行政区分では東京都、地方区分では関東地方に含まれる。

脚注

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注釈

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  1. ^ 日本の憲法体系では、新旧憲法ともに領土規定が存在せず、比較法学の観点ではこれは異例である。明治憲法には領土規定がなく、ロエスレル案の段階においては、領土は自明のものであり、また国体に関わり議院に属さないものだとして領土規定は立ち消えたのであるが、実際にはロエスレルの認識とは異なり、日本の領土は北(樺太・北海道)も南(琉球)も対外政策は不安定な中にあった。この事情は明治政府にとって好都合であったことは確かで露骨なものとしては「我カ憲法ハ領土ニ就イテ規定スル所ナシ、諸国憲法ノ或ハ領土ヲ列挙スルト甚タ異レリ、サレハ我ニ在リテハ、領土ノ獲得ハ憲法改正ノ手続ヲ要セス」(上杉慎吉「新稿・憲法述義」1924年P.143)と解されていた[8][9]
  2. ^ 古代の境界については、「ツマ」の語源を通して古代の国家領域を探る研究も存在する。即ち古墳時代「ツマ」とは鄙(ひな)の外側に存在する辺境を意味し、「サツマ」と「アヅマ」が倭国にとっての辺境であったとするものである。(永田一 「古代の「アヅマ」と「エミシ」についての一試論」『法政史学』71巻 法政大学史学会、2009年3月、17‐18、22頁)
  3. ^ 最近では携帯電話電子機器などから回収されるなどの貴金属は天然の鉱山より単位重量あたりの含有率が高く都市鉱山と呼ばれ注目を浴びている。
  4. ^ [71] によるもの。温帯と冷帯が最寒月平均気温0 ℃で区分されていることに注意すること。
  5. ^ a b c d e 世界のの面積順位より抜粋 出典:List of islands by area
    第1位 グリーンランド

    第5位 バフィン島カナダ) * 人口10,745人(2006年) - 本州の2.23倍、日本の1.34倍の面積
    第6位 スマトラ島インドネシア共和国
    第7位 本州
    第8位 ビクトリア島カナダ) * 人口1,707人(2001年) - 本州の95%、日本の57%の面積
    第9位 グレートブリテン島イギリスイングランドスコットランドウェールズ))

    第20位 アイルランド島アイルランド共和国およびイギリス北アイルランド))
    第21位 北海道
    第23位 樺太
    第25位 セイロン島スリランカ
    第26位 タスマニア島オーストラリア
    第27位 デヴォン島カナダ) * 世界最大の無人島 - 本州の24%、北海道の66%、九州の1.49倍、四国の3.01倍の面積
    第28位 アレクサンダー島イギリスチリアルゼンチンが領有権を主張) * 無人島

    第32位 アクセルハイバーグ島カナダ)、第33位 メルヴィル島カナダ) * 2つとも無人島
    第36位 スピッツベルゲン島ノルウェー) * スヴァールバル条約調印国の国民であれば、国籍問わず誰でも、出入りが自由(出入国管理なし・パスポート不要)で、居住ができ、仕事ができる島
    第37位 九州
    第38位 台湾中華民国) * 中国中華人民共和国)が領有権を主張

    第40位 プリンスオブウェールズ島カナダ) * 無人島
    第42位 海南島中国中華人民共和国))
    第45位 シチリアイタリア
    第46位 サマーセット島カナダ) * 無人島
    第48位 サルデーニャイタリア
    第49位 バナナル島ブラジル) * 川の中の島では世界最大
    第50位 四国

出典

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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